多田満仲の日記

主にゲームについて

らくえん~あいかわらずなぼく。の場合~

ゲーム制作者は時にユーザーに、ゲーム内のある要素を解放するために膨大な回数の反復作業を要求することがある。
以下はDEAD OR ALIVE EXTREME3における私の成果である。
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さて、このゲームは、ユーザーに金を払わせるために全力でユーザーの快適なプレイの邪魔をしてくるシステムに定評があるのだが、そういう意味では私は制作者にとっていい客とは言えないだろう。というのも私は、DL購入という初期投資以外で全くこのゲームの制作費回収に貢献していないからだ。

「金を無駄にするか、時間を無駄にするか」という二者択一を迫られ、当然私は後者を選んだのだが、その結果が上の画像ということになる。前者を選んだら、現在の私の水着コレクションのデータを作るためにおそらく100万円(リアルマネーで)は課金しなくてはならなかっただろう。


私は最初、このゲームの稼ぎでルーレットリセマラという非効率極まりない方法をとっていたのと、「あやねちゃん連続30回水着受け取り拒否事件」など、記録に残らないプレイ時間もあるので、総プレイ時間はおそらく600時間は越えると思われる。

別に私はこの全く生産性のない反復作業で、600
時間もの貴重な時間を無駄にしたなどとは全く思わない。時間というものは相対的なものであり、単にこのゲームに費やすよりも有意義な時間の使い方を私が見つけられなかっただけのことだ。

そもそもゲームの究極の目標は余暇を潰すことにあるのだから、600時間も潰すことができた(楽しめたとはいっていない)このゲームはまさに神ゲーといって差し支えなかろう。私が今まででトロフィーコンプした唯一のゲームでもある。(トロコン自体は別にそれほど時間がかかるわけではない)

ちなみにこれだけの時間で四人(紅葉ちゃん、かすみちゃん、あやねちゃん、ほのかちゃん)の水着をほぼコンプリートできた。

参考までにこれからこのゲームを始めようとする方のために周回数を載せておきたい。ひとつの目安にしていただければ幸いである。

周回数
かすみちゃん 134回
紅葉ちゃん 147回
ヒトミ 47回
エレナさん 57回
マリー 59回
ほのかちゃん 125回
にょてんさん 43回
こころ 42回
あやねちゃん 131回
計785回

是非あなたも楽園にたどり着いてほしい。

最後のブルマとソックス問題について

調べてみると、当時幽遊白書がフジテレビ系土曜18:30から、セーラームーンテレビ朝日系土曜19:00からそれぞれ放映されていた。つまり私がセーラームーンを視聴するためには、何てことはない、幽遊白書を見終わったあとにちょっとリモコンを操作してチャンネルを変えるだけでよかったのである。

しかし、言うまでもなく、セーラームーンは女児向けアニメである。少なくとも製作者はそのように意図していたであろうし、当時社会現象にまでなったこのアニメに対する世間一般の認識も同様である。つまり、「男の子がセーラームーンを見るのは恥ずかしい」共通認識が出来上がってしまうのである。当時、幼稚園および学校で男の子が「昨日のセーラームーン、面白かったよな」などと言おうものなら、その子は真っ先にいじめの対象になっていたことだろう。

年齢の近い妹か姉がいたならば、食卓を囲む一家団欒において、セーラームーンを視聴することはできただろう。しかし、残念なことに、私にはひとつ上の兄がいただけである。そして私は、家族の目の前でセーラームーンを見ることができるだけの勇気を持っていなかった。

幼稚園児であるわたしに、家族の目を盗んで見るための自室はおろか、テレビすら与えられていなかったのは言うまでもない。つまるところ私は当時(そして今に至るまで)セーラームーンを見る機会を失ってしまったのである。

興味の対象が多様化した今の私がセーラームーンに対しても特別な感情を抱くことはもはやなくなってしまったが、それでも成就することのなかった「長靴下の美少女」に対する憧れは、幼い私の人格形成の、非常に重要な要素だったに違いない。そしてその鬱屈した感情が、「ブルマにソックスがないとは何事か」という冒頭の私の怒りにつながったのであろう。

ブルマとソックス問題について 制服

幽遊白書を見ていないものは男子にあらず」「セーラームーン見ていないものは女子にあらず」という風潮の中で、当時幼稚園男児であった私も当然、クラスの話題に乗り遅れないよう、幽遊白書を視聴していた。洒落たセリフまわしとスタイリッシュな戦闘シーンに熱狂したものである。親指と人差し指を立てて「霊丸」の真似をしなかった男の子などいるのだろうか。

しかし、友達同士で無邪気に「幽遊白書ごっこ」をしていた当時の私の胸のなかに、なにかモヤモヤしたものがあったのは事実である。というのは、「ピチピチの水着みたいな服を着て、長い手袋と長い靴下のきれいなおねえさん」に対する強い興味、すなわちセーラームーンに対する強い興味である。

そして彼女に対する興味こそ、私の「性の目覚め」といって差し支えあるまい。そして「長い靴下」とは私にとってセーラームーンの象徴であり、私の「性的好奇心」の原点ともいえるものなのである。

あの刺激的なコスチュームが純真な幼児だった私の心をどれだけざわつかせたことだろうか。
しかし、いくら興味があったとしても、当時私がセーラームーンにたどり着くまでには、いくつもの高いハードルがあったことは言うまでもない。(いい加減に終われよ、と自分でも思うが、おそらく次回こそ最後になると思う)

新 ブルマとソックス問題について

人間の人格は幼少期に形成されるという。性的嗜好とは人格の表象の一部なのであるから、前記事の問い、「なぜソックスが私のリビドーを掻き立てるのか」に答えるためには、私の幼少期の性の目覚めを振り替えって見ればよいのである。見ず知らずの三十路男の「性の目覚め」なぞ知りたくもない、という方もいるだろうが、そんな生々しい告白にはならないので安心してお読みいただきたい。

私の幼少期は1990年代、おそらく日本アニメの黄金期だったのではないか。スラムダンクるろうに剣心GガンダムやWガンダム、地獄先生ぬーべー、GS美神エヴァンゲリオンCCさくらなど、数え上げたらきりがない。夕方にアニメを放映していて、小学生くらいの子供がいる家庭で、アニメを見ながら家族揃って夕食を食べるのはお馴染みの光景だったと思う。
そんなそうそうたるヒット作のなか、私と同世代の人々にとって双璧とも呼べるアニメが同時期に放映されていた。「幽遊白書」と「美少女戦士セーラームーン」である。 つづく

続 ブルマにソックス問題について

よくよく考えてみれば、私はブルマに対して特別な興味をいだいているわけではないのである。わたしの興味の対象はソックスの有無、およびその長さにある、ということである。
例えばスクール水着にソックスをはいていなくても私は怒りを感じないであろう。なぜならば、スクール水着はソックスなしで、それだけで私の鑑賞に耐えうるものだからである。(「それだけで」と言うとやや言葉が足りないかもしれない。あくまでもこの場では「ブルマをはいた美女」「スクール水着を着た美女」という前提で話を進めるものとする)
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参考画像1
しかし、ブレザーやセーラー服にソックスがコーディネートされてないとなれば、私は怒りに我を忘れてチーニンに抗議の電話をかけていたに違いない。これはソックスというものはブレザーやセーラー服の構成要素のひとつであり、不可分のものだからである。
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参考画像2 私の感覚では少しソックスが長いような気がする
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参考画像3 これくらいが理想的

ではブルマはどうか。上述したように、ブルマは私の琴線にようやくかするかどうかというくらいに微妙な立場にある。ソックスがあることでようやくわたしの興味の対象となることができるのだが、残念ながらチーニンはその努力義務を怠っていると言わざるを得ない。わたしの怒りはチーニンの怠慢に向けられていたのである。
さて、ここで大いなる疑問にぶち当たる。なぜソックスが私にとって重要な意味を持つのか、と言うことである。次回、この命題を「なぜソックスが私のリビドーを掻き立てるのか」と換言して考察していきたいと思う。

ブルマにソックス問題について

まずはこちらの画像をご覧いただきたい。
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言わずもがな、これはDEAD OR ALIVE EXTREME3 Fortuneにおけるワンショットなのであるが、なにか重要なものが足りない、と感じないだろうか。
私は初めてこのコスチュームを入手して紅葉ちゃんに着せた時、怒り狂ったものである。 「なぜ紅葉ちゃんはソックスを履いていないのか」と。
ブルマにソックスを合わせるのは当たり前であり、むしろそれらは不可分であり、さらにソックスは膝の少し下くらいまでの長さでなければならない、これは自明の理である。
しかし、さんざんチームニンジャを罵った後で冷静になった私は、ふと自分がとんでもない考え違いをしているのではないか、と思った。「なぜブルマにソックスでなければならないのか」と。
幸か不幸か、私は体操着でブルマを採用している学校に通ったことはない。ブルマなどというものはおとぎ話のなかでしか存在しないものだと思って育った私に、なぜブルマにソックスは当たり前、などという刷り込みが起こってしまったのか。
少し長くなりそうなので次回、じっくりと考察したい。

完 私はいかにしてこのブログを開設するに至ったか

もしも目当てのゲームの体験版が配信されいなかったならば、あなたは恐らく動画共有サイトで、ゲームのプレイ動画を探すのではないだろうか。私は実況というものが苦手なので(ゆっくりはモノによるが)なるべくプレイのみ動画を漁る。これも非常に便利なもので、作品全体の雰囲気をつかむのにうってつけであろう。
わたしが動画を視聴する場合に注目する点はいろいろとあるが、集約すると「キャラクターが画面上でどのように動いているか」の一点につきる。そもそもほとんどの視聴者が同じであろうと思う。しかし、まずは公式サイトのキャラクター紹介を見て、「このキャラを自分の手で自由に操作したい」という衝動がゲーム購入の最大のモチベーションとなる私にとって、キャラクターの操作感覚、動き、ボイス、そしてモデリングはゲームを構成する要素の9割を占めると言っても過言ではない。動画を視聴して、キャラの動作が私の意に沿うようなものであったら、そのゲームに対する私の憧憬はいよいよ深くなることであろう。
そして最後のひと押しとして実際にプレイした人の声、すなわちユーザーレビューが決定打となる。amazonレビューやtwitterネット掲示板、そしてレビューブログなど、レビューには好意的なものから批判的なものまで様々であるが、主観的意見を客観的に分析判断して、買うか買わざるかを悩むことこそ、ゲーム購入までの過程における醍醐味であると私は思う。そして長々と駄文を書き散らしてきたが、皆様がゲーム購入という清水の舞台から飛び降りるかのような重要な決定を下すための一助となるべく、このブログは誕生したのである。
上に記したようにキャラクターの挙動に重きをおく傾向にあるため、アクションゲームが主戦場であるが、小学校時代はドラクエ56やFF456そしてロマサガなど、スーファミ時代の古典的なRPGでゲーム教育を受け、大学時代はPC版うたわれるものを筆頭にADVに熱中するなど(うたわれはシミュレーション要素があるが)、ジャンルにはあまりこだわらない。ただただ面白いゲームがやりたい、それだけである。
求めてくださる読者がどれだけいるかはわからないが、多くて週2、最低でも週1の頻度で記事をあげて行ければよいと思っている。世の多くのゲームブロガーがほぼ毎日更新しているのに対し、なんとも貧弱な目標であるとは自覚しているが、ここまで書いてきて、文章を書くことが相当な時間と労力が必要なことを知ってしまった。学生時代、たかだか2000字のレポートを提出するのにも大汗をかくほどの筆無精である私にとって重労働である。負担になっては本末転倒なので、じぶんのペースで楽しく書いていきたいと思っている。